高禅寺について
・上から3枚目 高寺観世音(堂)
・上から4枚目 高寺観世音(堂)の裏手にある小山神社
・上から5枚目 小山神社の奥にある腹切り地蔵
2014年9月8日 撮影
2014年9月8日月曜日
2014年7月19日土曜日
2014年7月17日木曜日
2014年7月8日火曜日
2014年7月2日水曜日
2014年4月4日金曜日
2014年3月30日日曜日
2014年3月25日火曜日
帰命寺
八幡町 帰命寺 (きみょうじ) (第二十六番 大泉寺 関連)
現住所 盛岡市中ノ橋通二丁目1地内
帰命寺(自然山帰命寺)は元禄三年(1692年)に西応という僧侶が如来堂を建立したことに始まるが、明治維新後に廃寺となる。
そこから、帰命寺跡地には林光という僧が建てた「蛸薬寺」(慈覚大師一刀三礼御作と伝わる薬師如来像)のお堂が建てられたが、それも明治十七年(1884年)の盛岡河南地区大火で消失した。 寺の宝物でる室町時代の作とされる名刹「十一面観世音菩薩」と「蛸薬師」は、類焼の前に持ちだされ、その後大泉寺との併合により、現在は大泉寺(本町通一丁目)に安置されている。
(帰妙寺横丁は、この奥に帰命寺(浄土宗)があったのが名前の由来。)
現住所 盛岡市中ノ橋通二丁目1地内
帰命寺(自然山帰命寺)は元禄三年(1692年)に西応という僧侶が如来堂を建立したことに始まるが、明治維新後に廃寺となる。
そこから、帰命寺跡地には林光という僧が建てた「蛸薬寺」(慈覚大師一刀三礼御作と伝わる薬師如来像)のお堂が建てられたが、それも明治十七年(1884年)の盛岡河南地区大火で消失した。 寺の宝物でる室町時代の作とされる名刹「十一面観世音菩薩」と「蛸薬師」は、類焼の前に持ちだされ、その後大泉寺との併合により、現在は大泉寺(本町通一丁目)に安置されている。
(帰妙寺横丁は、この奥に帰命寺(浄土宗)があったのが名前の由来。)
2014年3月19日水曜日
櫻川観世音の伝説
櫻川観世音の伝説 (第二十一番 龍谷寺 関連)
盛岡の地がまだ拓けない昔、松前へ通じる一筋の道が北山を通っておりました。 その道筋に、森におおわれて昼なお暗い松坂というダラダラ坂があり、龍谷寺の付近であったということです。
どっぷり日も暮れたある日、一人の旅僧がここで夜を明かすことになり、観音様を松の根本に安置し、旅の疲れでいつしかうとうとしておりました。 かねて闇からその様子をうかがっていた数人の盗賊が、一刀のもとにと襲いかかりましたが、とっさにその気配を察した旅僧は、松の木の陰に身をひそめました。 その瞬間観音様は光と化し、それを目当てに切りつけた賊どもの刀は真二つに折れ、さしもの盗賊も驚き畏れ一目散に逃げ去りました。
翌朝、旅僧が観音様はと見れば、勿体無くも御手は飛んで小川に漂い、御手の触れた芦はみな片葉になっていたといいます。
かつて、龍谷寺境内をその小川(櫻川)が流れ、片葉の芦が風にそよいでいましたが、現在は埋めたてられ、その面影はもはやありません。 しかし、櫻川観世音ご尊顔は、今も昔に変わらずに慈愛に充ちて微笑んでおられます。
盛岡の地がまだ拓けない昔、松前へ通じる一筋の道が北山を通っておりました。 その道筋に、森におおわれて昼なお暗い松坂というダラダラ坂があり、龍谷寺の付近であったということです。
どっぷり日も暮れたある日、一人の旅僧がここで夜を明かすことになり、観音様を松の根本に安置し、旅の疲れでいつしかうとうとしておりました。 かねて闇からその様子をうかがっていた数人の盗賊が、一刀のもとにと襲いかかりましたが、とっさにその気配を察した旅僧は、松の木の陰に身をひそめました。 その瞬間観音様は光と化し、それを目当てに切りつけた賊どもの刀は真二つに折れ、さしもの盗賊も驚き畏れ一目散に逃げ去りました。
翌朝、旅僧が観音様はと見れば、勿体無くも御手は飛んで小川に漂い、御手の触れた芦はみな片葉になっていたといいます。
かつて、龍谷寺境内をその小川(櫻川)が流れ、片葉の芦が風にそよいでいましたが、現在は埋めたてられ、その面影はもはやありません。 しかし、櫻川観世音ご尊顔は、今も昔に変わらずに慈愛に充ちて微笑んでおられます。
2014年3月14日金曜日
明宜庵
長町 明宜庵 (みょうぎあん) (第十七番 聖寿禅寺 関連)
現住所 盛岡市長田町17地内
長町の西、梨木町との間の田圃の中に聖寿寺末の明宜庵(みょうぎあん)という庵寺があったが、戦後に廃寺となり、現在は聖光保育園の敷地になっている。
現住所 盛岡市長田町17地内
長町の西、梨木町との間の田圃の中に聖寿寺末の明宜庵(みょうぎあん)という庵寺があったが、戦後に廃寺となり、現在は聖光保育園の敷地になっている。
2014年3月6日木曜日
2014年3月4日火曜日
宗龍寺
八幡町垢離取場(こりとりば) 宋龍寺(そうりゅうじ) (第八番 祇陀寺 関連)
現住所 盛岡市茶畑2-1 (らかん児童公園)
十六羅漢像と五智如来像
この地は、市内寺の下祇陀寺(ぎだじ)の末寺宗龍(そうりゅう)寺のあったところで、境内に安置されている石像は十六羅漢像と五智如来像(大日如来、釈迦如来、多宝如来、阿弥陀如来、阿しゅく如来)の合計二十一体で丸彫りの巨石群として有名である。
南部藩の四大飢餓といわれる、元禄、宝暦、天命、天保の大凶作のとき多くの餓死者が出たが、その供養のために祇陀寺十四世、天然和尚がこの石像の建設を発願し、南部領内から供養喜捨を得て、その浄財で天保八年(1837年)十月工事に着手した。 そして紫波郡飯岡山から石材を切り出し、藩の御用職人が三年間を要して、あら刻みをおこない、仙北町、青物町付近の若者達の奉仕で北上川を舟で運び、更に川原町、鉈屋町を経て宗龍寺に送り入れ、最後の仕上げをしたという。 この運搬だけで半年を要したといわれ起工から十三年目の嘉永二年(1849年)六月、天然和尚の愛弟子に当たる仙北町長松寺十三世泰恩和尚のときにようやく竣工をみるに至った。
宗龍寺は、明治維新後、祇陀寺に併合されて廃寺となったが明治十七年(1884年)十一月の大火で灰になり、現在は二十一体のこの石像群を残すのみとなったのである。
*****
・2014/07/02 写真追加 らかん児童公園 写真
現住所 盛岡市茶畑2-1 (らかん児童公園)
十六羅漢像と五智如来像
この地は、市内寺の下祇陀寺(ぎだじ)の末寺宗龍(そうりゅう)寺のあったところで、境内に安置されている石像は十六羅漢像と五智如来像(大日如来、釈迦如来、多宝如来、阿弥陀如来、阿しゅく如来)の合計二十一体で丸彫りの巨石群として有名である。
南部藩の四大飢餓といわれる、元禄、宝暦、天命、天保の大凶作のとき多くの餓死者が出たが、その供養のために祇陀寺十四世、天然和尚がこの石像の建設を発願し、南部領内から供養喜捨を得て、その浄財で天保八年(1837年)十月工事に着手した。 そして紫波郡飯岡山から石材を切り出し、藩の御用職人が三年間を要して、あら刻みをおこない、仙北町、青物町付近の若者達の奉仕で北上川を舟で運び、更に川原町、鉈屋町を経て宗龍寺に送り入れ、最後の仕上げをしたという。 この運搬だけで半年を要したといわれ起工から十三年目の嘉永二年(1849年)六月、天然和尚の愛弟子に当たる仙北町長松寺十三世泰恩和尚のときにようやく竣工をみるに至った。
宗龍寺は、明治維新後、祇陀寺に併合されて廃寺となったが明治十七年(1884年)十一月の大火で灰になり、現在は二十一体のこの石像群を残すのみとなったのである。
*****
・2014/07/02 写真追加 らかん児童公園 写真
2014年3月3日月曜日
2014年3月2日日曜日
2014年3月1日土曜日
2014年2月28日金曜日
青龍水
青龍水 (せいりゅうすい) (第四番 祇陀寺 関連)
現住所 盛岡市鉈屋町地内 (スーパーかわてつ 駐車場 横)
御田屋清水、大慈清水とともに盛岡山清水の一つ。
この辺りの大きな沼に青龍が棲んでいたという伝説から名付けられた。 小屋がけの清水場は、飲料水、米とぎ用、洗濯場に仕切られ、今も近所の人たちが使用している。
環境省選定・平成の名水100選。
江戸時代は、自噴する湧水だった様子が絵図でわかります。
天保4年初稿の盛岡砂子(地誌)に「了源寺前(隣接の旧川鉄)に有り。真夏は至って冷泉にて厳冬温かなること湯のごとし。この辺はこの水によって居を保つ」と、地域の生活水として古くから利用されてきました。
明治8年には、上手の祇陀寺の湧水池から木管で引水し、石垣に「清水普請寄進面附」が刻まれています。この祇陀寺に伝わる青龍伝説によって青龍水と名付けられたようです。
昭和2年に整備され、同7年に現在の姿となります。昭和45年に枯れたため、井戸に変わっています。
現在も住民によって共同井戸として維持されています。
平成20年に平成の名水百選に選定されました。
*****
・2014/07/08 テキスト・写真追加 青龍水 写真
現住所 盛岡市鉈屋町地内 (スーパーかわてつ 駐車場 横)
御田屋清水、大慈清水とともに盛岡山清水の一つ。
この辺りの大きな沼に青龍が棲んでいたという伝説から名付けられた。 小屋がけの清水場は、飲料水、米とぎ用、洗濯場に仕切られ、今も近所の人たちが使用している。
環境省選定・平成の名水100選。
江戸時代は、自噴する湧水だった様子が絵図でわかります。
天保4年初稿の盛岡砂子(地誌)に「了源寺前(隣接の旧川鉄)に有り。真夏は至って冷泉にて厳冬温かなること湯のごとし。この辺はこの水によって居を保つ」と、地域の生活水として古くから利用されてきました。
明治8年には、上手の祇陀寺の湧水池から木管で引水し、石垣に「清水普請寄進面附」が刻まれています。この祇陀寺に伝わる青龍伝説によって青龍水と名付けられたようです。
昭和2年に整備され、同7年に現在の姿となります。昭和45年に枯れたため、井戸に変わっています。
現在も住民によって共同井戸として維持されています。
平成20年に平成の名水百選に選定されました。
*****
・2014/07/08 テキスト・写真追加 青龍水 写真
登録:
投稿 (Atom)